こんにちは、オンライン国際婚活中のmomoです!
婚活していて「あれ?」と思うような出来事が重なると、
相手が複数で別々だったとしても共通点があったりしませんか?
わたしも先日、新しい問題が…と思いましたが、
どうやらその原因はわたし自身の「自分との関わり方」にあるようです。
注:これから書くことは、わたしが経験したこと、本や調べたことを参考にしたものです。
わたし自身は心理学やそれに関する専門家ではありませんので、あくまで個人の考えや自分自身への答えとしての内容です。
もくじ
小さい頃にはできていたのに、だんだんできなくなったこと

小さな頃って、大声で泣いたり笑ったり、その時の感情の動きがそのまま外に出ます。
大人になるにつれ、それはしなくなりますね。
相手が受け取りやすいように伝える言葉を知ったり、感情の他の発散方法を覚えるからというのもあります。
自分で自分の感情を抑えたり、なだめたりもします。
でも、それに慣れていくと、自分にまでごまかしが効いてしまうことが起きます。
「そりゃ、大人が子供みたいに感情を出してばっかりだったら問題でしょ」
なんていうのもわかるのですが、たとえ表に出した感情でも、その根っこに気づけているかどうかは自分にいつでも問いたいことです。
わたしは大人になるにつれ、根っこの感情のそのまた奥にある気持ちを見つけるのが下手になってきたようです。
感情の層と、タネと根っこ
また自分の失敗を曝け出すのは痛いですが…
先日、テキストの返信が遅いお気に入りの彼が
「連絡の頻度を話し合おうか?」
って言ってくれたのに感情をぶつけてしまったわたしですが
それって、
「さみしい!もっとやりとりできたらうれしいのに!!」
っていうのがもともとの気持ちでした。
そしてその根っこは、「この人ともっと仲良くなりたい」だし、
それは「好き」っていうシンプルな気持ちが種になっていたはずなのです。
その感情が満たされていなかったわたしは、悲しさだったり寂しさを感じていました。
そして、そんな感情を持つことを恥ずかしいとさえ感じていることにも後で気付きます。
湧いてくる感情自体には善悪も優劣もないのだけど、自分自身でその審判を下してしまうことを無意識に続けていました。悪いものだと思えば、その感情を持った自分を嫌になったり。
悲しみや寂しさを感じると、それを恥だとも感じていたようです。
そして、その弱みを悟られたくないから、覆い隠すために怒りが出てきていました。(ここまで無意識!)
「わたしにこんな思いをさせるなんて!」
と、まるで相手に全ての原因があるように矛先を向けて、責めるような言葉を相手にぶつけてしまう。
怒りは強い感情なので、衝動につながりやすく他の感情より表に出やすいのです。
だから自分でもわかりやすいし、それが本心だと勘違いしてしまいます。
そして、その原因を作った相手に言わなきゃ気が済まない!とまでなってしまっていました。
怒りを持て余してしまい、自分でどうにもできないから、相手に「どうにかしてよ!」と言っているようなものでした。

好意を抱いた相手に、「この人ともっと親しくなりたい!」という気持ちが湧くのは自然なこと。
そして、なかなか会えない相手だったら、「会えなくてさびしい」と感じるのも自然です。
だけど、その気持ちを持つことや相手に知られることに、不安や恐怖を感じてしまう。
だから、自分でも気づかないように他の感情で隠してしまう。
(しつこいけれど、これもここまで無意識でした)
というのが、上に書いた感情の層の出現理由なんだと気付きました。
でも、自然な気持ちに(しかも自分自身の)
抵抗を感じ始めたのってどうしてだろう?
自分の気持ちをまるで他人みたいに「みっともない」と眺めるようになったのはいつからだろう。
なぜ本心を知られるのが怖い?

大人になったわたしがしていた、自分の感情の扱い方は、まさに子供の頃に周りの大人たちから受けた対応でした。
うわーん!って泣き出すと
「みっともない!」「泣くのやめなさい!」
「静かにしなさい!」「お前はワガママで人の言うこと聞かなくて…」
と言われました。
「なぜ悲しいのか」「泣くほど何が嫌だったのか」とゆっくり聞いてもらった記憶はどうしても思い出せませんでした。
大人たちは忙しいし、子供のことは当然わかってるつもりでそんな言葉をかけてくる。
でもそれって、大人たちの「今忙しいから泣き止んで欲しい」ってことだったんですよね。
今でも嫌な気持ちになるのは、ある小学校教師の接し方でした。
泣き出した子を「なぜ泣いてるの!?言えないなら何もできないよ!?」と全員の前で責めるような口調で怒りまくっていました。
その教師自身が不安でどうしていいかわからなかったんでしょうね。
わたしも大人になった今ならそう思えるけど、当時は自分も他のクラスメートも責められ続けることがすごく辛かったです。
(結局、この教師は他にも問題があり、学校を去りましたが…教育の現場に一生戻ってくんなって思うね☆)
悲しいとか辛いと感じるわたしがおかしいのでも異常でもなくて、大人側の都合で怒られたり責められたり。ただそれだけだったのです。
(わたしは子供を持ったことがないし教師にもなったことがないので、その立場からの視点は完全には理解できていません。だから、今のわたしがその時の大人たちと近い年齢もしくは年上になった立場としてしか言えないのが残念ではありますが)
背が伸びて、すぐに泣き出さなくなった頃でも、「嫌だ」ということを伝えれば「ワガママだ」「みんなやってるんだから我慢しなさい」と何度も言われたことを覚えています。
言ってもわかってもらえないし、言えば嫌な思いを二重にするから、だんだん口に出さないようになっていきました。
自分で寄り添ってあげること

大人の反応から、強い感情を持つことは恥ずかしいことであり、しまい込まなければいけないものだとも思い始めていました。
それがうれしい感情だったとしても、です。
感情を出したり伝えたりすることは、大人(もしくは他人)に攻撃されるきっかけになるんだと理解することになっていった気がします。
文章を読んだり書くのは好きだったけど、他人との会話で自分の感情や考えを伝えるのはずっと苦手になっていきました。
もしかしたら、その頃はもう他人と違う考えを持つのはおかしいのかも、と思い始めていたかもしれないし、周りと同じように考えたりできない自分を嫌になりつつもあった頃かもしれない。
だけど、自分の心の中にまで、そんな聞く耳を持たない意地の悪い大人を飼う必要はないのです。
誰も聞いてくれないとしても、自分は絶対に聞いてあげること。
小さかった自分が心細かった時、どんなふうに声をかけてほしかったか。
それを考えたら、ひとつひとつの感情にどんなふうに向き合っていくかもわかるはず。
そして、誰かにわかってもらいたい!っていう思いは、まずは自分で聞いてあげて満たすことだってできるのです。
きっと、自分自身とのコミュニケーションがうまくいっていると、そこまで他人に理解して欲しいなんて思わないですし。
だから、まずはどんな感情でも受け止めてゆっくり聞いてみること。
そのくらいは、自分に許していいはずです。